よくたべよくねてよくあそぶ

一難去って、また一難 ぶっちゃけありえない!!(プリキュア)と思いながら労働している大人のオタク

死亡届を書いてユーキャンボールペン字講座の伏線を回収した話


新年度初日、前日に社内発表があった無理な人事配置に文句を言うための会議中だった。机上のiPhoneが鳴った。

光った画面のけたたましい通知の数と、滅多に連絡のない父親からの着信に、上司に断りを入れて電話に出た。

長らく闘病中だった祖父が亡くなったという知らせだった。


今からお通夜になる、仕事は問題ないか確認してあとでLINEしてとのことだ。正直まだ現実味がなく、悲しみよりもとにかく狼狽してしまった。

幸いにもさっきまで不満をぶつけていた上司が仕事を引き受けてくれたので、私は急いでお通夜の行われる葬儀場に向かった。

私が葬儀場に着いたのは、病院で祖父を看取ってからこちらに向かっていた祖母と父親が着いたのと同時だった。

待合室のようなスペースでしばらく待っていると、祖父が包まれているのであろう白い布がカラカラと運ばれてきて横を通り、奥の部屋に通されたようだった。本当にあの中に祖父がいるのかと思うとやっぱりまだなんだか悲しいというよりも変な気持ちになった。本当に?あの祖父が?と。

しばらくしてスタッフの方が声をかけてくれて、祖父にお線香を上げさせてくれた。顔にかかった布はまだ外していいのかがわからず、顔を見ずに先に手を合わせた。

その後待合室で座りながらポツポツと話す祖母に相槌をうっていると「早速ですが、」とスーツを着た男性スタッフの方が葬儀の打ち合わせをしたいとのことだった。
父親、祖母、私の3人で横に並ぶ。葬儀の打ち合わせに私が同席していいのか?となんだか恐縮してしまう。

祖父が亡くなったことに伴う手続きや、お葬式のプランをどうするかなど事務的な話をたんたんと進めていく。あとからきた叔父が祖母を連れて一度実家に戻ることになり、父親と私で引き続き打ち合わせを進めた。

祖父の生年月日などを答えるやり取りの中、特に聞かれてもいないのに父親が祖父のエピソードをいろいろと話していた。いつもあの大きな森林公園にウォーキングに行っていたんです。とか、歌を歌うのが好きでとか、昔は農業をしていたから筋肉もあって力自慢してたもんです、とか。
正直意外だった。父親もなんとなく誰かに話したくなったんだな。


「死亡診断書」というものをこの日初めて見た。斎場に着いてから何度かこれの提示を求められた。そんなに必要なものなんだな、と思いながらその様子を見ていたのだけど、この打ち合わせでもその紙をスタッフの方に渡していた。

「ではこの死亡診断書の左側の死亡届にご記入をお願いできますか」と言うスタッフの男性に、ペンを取った父親がこっちを見た。



「おまえ、字練習しとったよな。これ書いてくれ」



私は昨年末くらいからユーキャンボールペン字講座を受講していた。(三日坊主の割にはわりと続いている)


いやいやいや、まだ2巻のテキストまでしか終わってない!っていうかまだそんな字綺麗ちゃうし!ってかそんな大事なもん私が書いていいん?!って瞬間でいろいろ考えて「え〜……」って小さい声が出たけど

父親は字がかなり大胆で何を書いているか読めない時があることを思い出し、また、こんな機会もなかなかないかとも思って(不謹慎かも、おじいちゃんごめん)「じゃあ書かせてもらうわ」と、承諾した。

ものすごくニコニコ待ってくれているスタッフさんの前で「字上手やからな」と言ってくる父親に、書きづらいわ!!やめろ!!!!と思いながら、生まれて初めて触る死亡診断書とペンを受け取った。

死亡届と書いた紙を前にペンを持った時、なんかようやくウワ〜〜〜となった。あんなに強かったおじいちゃん、もういないのか。私がその証明を書くのか。私が年明けから字練習してきたのってもしかして今日のためだったのか。とか一瞬でいろいろ込み上げるものがあって、視界がぼやけた。



ユーキャンのボールペン字講座を選んだ理由の一つに、講師が私の名前を手書きしてくれた見本がもらえるという特典があった。しかも課題提出の際も毎回名前と住所は必ず添削してくれる。既に4回ほど添削してもらって、最初に比べたらだいぶマシになったようには思っていた。


死亡届で一番最初に書かないといけないのは祖父の名前だ。
父方の祖父なので幸いにも苗字は私と同じだった。でも本当に全然上手くかけなかった。第3回の課題で提出した時の方がずっと上手く書けたのに。おじいちゃん、ごめん。
下の名前の2文字目の漢字は私の住所にある漢字だった。本当はもっと右上がりに書かないといけないのに。なんか本当に全然上手く書けなかった。おじいちゃん、ごめん。でも心から丁寧には書いたよ。


必要なところを書き終えてスタッフさんに渡したら「お上手ですね」とニッコリされた。やめてくれ!!!!!


そのあと、下の部分にサインが必要だったようで父親がそこの部分だけ署名をしていた。ひと通り必要なことを話して打ち合わせがひと段落したあと、父親が煙草を吸いに出て、スタッフさんと2人になった。

「すみません、お父様のお名前のこの字は"成"という字で良かったでしょうか?」

その言葉にやっぱり父親じゃなくて私が書いて良かったかもしれないと、少しだけ気が晴れたのだった。



そもそも私がユーキャンボールペン字講座を申し込んだのは昨年秋に夢を見たからだった。


私は夢の中で、中学生の頃に亡くなった母方の祖母の遺品を漁っていた。たぶんおばあちゃんが持っていた顔用の新品のカミソリを探していた。(遺品の剃刀を使おうとするな)
色々ひっくり返して探していた時、いろんな書類が出てきた。ばさっと広がってしまった紙を見たらどれもめちゃくちゃ達筆で「えー?!おばあちゃんめっちゃ字綺麗やったんや!!すごい!!昔の人やから?!(??)」てなんかすっごく感銘を受けてしまった。
そこで「字汚いのいつか直したいな〜ってずっと思ってたけど、今やらな!!!ぜったい!!急がないと!!!後回しじゃなくて!!」って何故か急に焦燥感に駆られるという夢。

起きてすぐ、やば…これはおばあちゃんからのお告げやわ…申し込まな……って思って割とすぐ申し込んだ。*1


その夢を見る前の日、「結婚相手と初めて出会った時、この人と結婚する…!って直感があった」と言う友人の話を聞いて「え〜?!すごい!!お告げだね!!」と話していた。

友達は結婚相手のお告げがあったのに、その頃一方、ユーキャンボールペン字講座を受けろというお告げがあった私、なに?????おもろ……って思ってたんだけど、もしかして今日のためだったんですか??!おばあちゃん。


ちなみにこの夢を見てユーキャンに申し込んだ翌週、別の友人の結婚式に行ったら余興の漫才で

「おれラーメン屋やろうと思っててさ」
「えー!ほななんか準備してんの?」
「いま資格の勉強してんねん」
「ラーメン屋で資格って珍しいな!そんなんあるか?」
「ユーキャンボールペン字講座」
「は?」
「オーダーかかなあかんやろ、俺字、汚いから」

っていじられてて、おいこっちは先週申し込んだばっかりやぞいじるな!!!2万強振り込んどんねん!!!って思ってたけど、これも絶対に私をボールペン字講座へ誘導するためのお告げだったんですか?おばあちゃん、そしておじいちゃん。





そのあと無事にお通夜も終わり、翌日にはお葬式も終えた。父親が言うようにとっても体力のあったおじいちゃん。
元気で強かったおじいちゃんはさいごはすごく小さな箱におさまったけど、久しぶりに病院じゃなく一緒に家に帰ることができて、祖母もホッとしていた。



おじいちゃん、長い間お疲れ様でした。思春期の時は邪険な態度もとったかもしれない…ごめんなさい…でもおじいちゃんの話はいつも面白くて、高校時代の友達の間では私の爆笑エピソードトークのレパートリーだったよ(怒られるかも、ごめんなさい)

いつも私に「あんたは絶対大成する!優秀になるよ、ご先祖様もそう言ってるよ!」みたいに言ってくれてたの覚えてるよ。大成したかは分からないけど元気に働いてるよ。
元日にアイドルのコンサート行ったって言ったら「頭おかしいんじゃないの?」って言われたのも怖面白かったよ。
褒め方の最上級が「かっこいいね」なのも面白くて好きだったよ。多分今日着てたトレンチコートはおじいちゃんならかっこいいよ!って言ってくれたと思う!たくさん本当にありがとう。




死亡届はもう書くことない方が良いんだけど、字はきれいで損することないしね。引き続きちゃんとテキスト進めます〜〜最近サボりがち、、、、、ぐう、、


ということで、みんなで素敵なボールペン字講座ライフしましょう!!!これを読んだ人は今日がお告げです!はい!やろう!!知らんけど!


あとおすすめポイントとして、添削の時に少しでも褒められたらとても嬉しいです!
まっすぐ書けています(花丸)とか書いてもらえたら「エッ⁉️ほんとかな⁉️ヤッター😄✌️」になります。褒められることに飢えた疲れた社畜にこそ勧めます(?)


ステマみたいになった、おもろい
(当たり前ですが私には一銭も入りませんのでご安心ください)



ボールペン字[実用ボールペン字]通信教育講座|資格取得なら生涯学習のユーキャン



あとこのタイトル、何???と自分でも思う

*1:多分夢で見たおばあちゃんの字はおばあちゃんの字ではない(どういう夢??)

「人間に向いてない」

黒澤いづみさん著「人間に向いてない」のネタバレあり感想です

タイトルにわたしの読む本では?!?!となって手に取ったんですけど、メフィスト賞という賞を受賞した作品だそうです。無知すぎて賞の存在自体を知らなかったのだけど、面白ければジャンルは割となんでもありな賞らしい(語弊)こないだ読んだ森博嗣さんもこの賞を受賞されたみたいでへ〜〜!となった。


展開がめちゃくちゃ気になるから苦じゃなくさくっと読めてすごく読みやすかったし、後味も悪くなかったので嬉しかったです(小並感)わりと賛否両論みたいだけど、わたしは楽しく読めたし好きです。人に勧めたい。


社不って今はわりと軽い気持ちで使われるようになった社会不適合者の略語だけど、まさに人間に向いてない社不たちがなんの因果か人間じゃないきもい謎の生命体になってしまうというお話。こわい。
その生命体の姿かたちの描写が言葉だけなのに想像してもほんとに全部きもくて、ウゲ〜っとなる。よくこんな気持ち悪い姿かたち思いつくな?!(褒めてる)
とにかくその生命体にまつわる描写がグロいんだけど、ほんと「人間」じゃなくなったことで、良くも悪くもめちゃくちゃフラットになって、みんなの真意が暴かれてしまう。そして人間扱いしなくて良くなって正当にゴミ扱いすることを許された時の周りや家族の描写の方が物凄くグロい。

公的に人権がなくなった、家族とも呼べない塊を前にした時に家族はどうするのか。
もともと社不だった子供を疎んでた親はこれ幸いと合法で処分する。どんな塊でも知らない生き物と割り切れない親はそれと共に生きる方法を探す。

主人公の美晴は息子である優一に対して何故こうなってしまったのか…と常に考えていた。優一は成人してからもずっと引きこもっている。優一のためにいろんなことをしたつもりなのに、人並みにして欲しかっただけなのに…自分の母親に「私の何が間違ってたの?」と弱音や愚痴をこぼすこともあった。
美晴自身に悪意があったわけではない、ただ読者からはその経緯を追うだけでも美晴が「毒親」といわれるカテゴリだと感じずにはいられない。ただ、少し不思議に思ったのはそんな美晴の母親だ。

優一に感情移入しながら読んでいた私としては、優一の愚痴をきく美晴の母親に対して、めちゃくちゃ嫌なやつやん…と思っていた。それこそ「毒婆」じゃん、って思ったし(そんな言葉ある???)
なんだけど優一のことを完璧に見放した旦那を置いて実家に戻った時、醜い姿になった優一も、その優一と生きていく覚悟をした美晴も、まるごと受け入れてくれる。
そして母と暮らす穏やかな生活の中で、どんな時も娘の自分を受け入れ背中を押してくれる母に、母親としての自分はいったい優一に何をしてあげられたのか?とようやく美晴が気づくことになる。この暮らしの描写を読むと、美晴の母親があたえてくれる絶対的な無償の愛にとても泣けてくる。

前半で優一に対しての愚痴をこぼす美晴に賛同し、優一を攻めるようにもとれたあの言動も、美晴の辛い気持ちによりそう一心だったのかもしれない…とここまで読んでようやく思った。優一の気持ちで作品を追っていた私からすると、自分の敵である美晴の味方=敵だった。しかしこんな姿になってから初めて味方なのか?と感じてきた美晴の1番の味方である祖母は、もう大きな味方になっていた。

こう書くと美晴の母親が100点の母親みたいに思えるけど、実際その母親のもとに育った美晴は優一にとっては「良くない母親」だった。そう思うと、美晴の育てられ方は100点とは言えないはずだ。母親の愛がいつ届くかとかもう分からんし、正解とかないと思うけど、遅くても美晴にはこのタイミングで気づくことができたし、それは絶対母親のおかげなんだなと思った。


ストーリーの終盤、優一がすんなり絆されずどうしても自分の中の憎しみを見捨てられなくて美晴を殺しかけるシーンもすごく良かった。20年以上の憎しみがそんな簡単に処理できてたまるか、という納得感があったし、あの時殺しかけなければどこかで綻びが出てやっぱり美晴のことを許せなくて向き合うことをやめてしまう気がする。

めちゃくちゃ脱線するけど、負の感情を飲み込むのって辛かった時の自分を見放すみたいに思えて気後れすることがある。優一もそうだったのかな?って勝手に感じたりした。私がそういう気持ちになった時にいつも思い出すのがBUMP OF CHICKENのrayという曲だ。

あまり泣かなくなっても 靴を新しくしても
大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない

これは悲しみの感情の方を歌ってるのだと思うけど、なんか負の感情の全てにおいても言えるなあって思って、めちゃくちゃ明るい曲調なんだけどウウッてなる。自分でもその執念とか辛さとかを手放してしまうというか、飲み込んでしまうことが怖いというか。本当にいいの?ってなるんだけど、前に進んでもその気持ちを蔑ろにしたことにはならないよっていう…なんか優しい歌だよなあほんとに…

話を戻して、殺されかけた美晴の態度を見て、今までの敵とは違う存在の美晴を知ることができたのも優一にとって大きかったように思う。
家族間の重い話って結構辛いしグロいけど、この作品の結末は私的には大団円である。お父さんの処遇も含めて。

こないだTwitterでバズってたツイートに「無償で愛されているのは子供よりも親の方だ」とあった。異形になってしまった子供たちも少なからず親と和解出来る未来を期待していたかもしれないしあながち間違いじゃないのかも。少なくとも親から子供への無償の愛って当たり前じゃないなとこの作品を読むと感じてしまう。


人を育てたことなんてないし、子供を産み育てる予定も全然ないけれど、私はちゃんと我が子の1番の味方になれるのだろうか…と不安になると同時に、親となる前に読んでおくことができてよかったと思った。

あと私はギャルが好きなので津森さんがめっちゃ好き。らぶ。


ちなみに自分語りなんだけど、私は私のお母さんのことが大好きだ。お母さんは本当に家族への愛に溢れているし、おっちょこちょいなところはあるけど誰からも愛されそうだし愛されていてほしいと思える存在である。尊敬する。
けど、そんな素敵なお母さんに育てられた私自身は人をうまく?育てられる自信が無い。なんでだろう、お母さんには死ぬまで長生きしてほしい(?)くらい感謝してるから、お母さんの子育ては絶対に否定したくないけど、私が母のような人間に育ったかは正直自信がない。
でも、繰り返しになるがお母さんの子育てが否定されるなんて私が誰より悲しいから、そんなふうに思われないように頑張りたいなとは思う。

お母さん〜!会社行くの嫌だけど頑張って真っ当に働いて奨学金返すからね!!!!


おしまい

喉元を過ぎて「あの頃」になった

※アイドルオタクがみた、映画「あの頃。」のネタバレあり感想です


ずっとみたかった「あの頃。」をU-NEXTで見ました。
ハロプロには明るくないけど大学生から社会人にかけて(劒と同じだね)、どっぷり女の子アイドルオタクをしていた私からして、良くも悪くもめちゃくちゃリアルだなというのが一番の感想でした。ノンフィクションだから当たり前なんだけどね。

私は所謂「女オタ」なので劔達みたいなグループにがっつり居たわけじゃないんだけど、ライブ終わりの打ち上げと称した飲み会の感じとか、現場*1での内輪ノリの感じとか、こういうオタクめっっちゃいる…!!ってなって笑えたし、まあ言っちゃうとめちゃくちゃ内輪ノリだから寒いっちゃ寒いとも言えるんだけど、ほんまに楽しそうなんよな。。ほんまに作中の言葉通りでずっと中学10年生のノリ。Twitterでも現場でも。ライブに託けてはしゃいでて、いつもほんとに楽しそうな様には、多分この映画を見た人が感じた羨ましさみたいなものがリアルにあった。

オタクみんなキャップ被りがち(事実に基づく偏見)やし、すぐオリジナルTシャツ作りがち(事実に基づく偏見2)やし、西野みたいに何故かサッカーのウェア?みたいなんいつもきてる人もいるし(事実に基づく偏見3)、ロビさんみたいなちょっと粋っぽい謎の説得力あるけどなんの仕事してるか分からんおじさんも絶対いるし(事実に基づく偏見5)、イトウみたいないじられオタクもぜっっったいにいるし(事実に基づく偏見6)、アールみたいな若くてちょっとしゅっとしてる塩顔でバンドしてる兄ちゃんだけに彼女おるのも"めっちゃそう"やし(事実に基づく偏見7)コズミンみたいなネット弁慶のゲス(悪口)だけどそれも込みで面白がられて結果その人の周りで笑いが起きるみたいな人もわりと本当にいる。

コズミンは若くして大病を患ってしまったけど、私の知ってる"コズミン達"はまだピンピンしててどんどん出てくる若いアイドルグループの現場にたくさん行っている(Twitterでたまに見かけるくらいだけど)
余談だけど、掲示板でおまいつ*2の劒たちがそれぞれハンドルネームと一緒に悪口書かれてたのめっちゃあるある過ぎてわらった。


…とまあオタク達のことを好き勝手書いたけど、同じくオタクである私にも「あの頃。」みたいなのがあった。アイドルを追っかけていなかった人たちは多分この映画を見て学生時代を思い出したりするんだろうけど、自分と同じアイドルオタクというフィールドで描かれるものに私はかなり親近感を持った。

本当に中学10年生みたいな時間はすっごく楽しくて、ナカウチさんが言うように「今が一番楽しい」って思えた。大人になってどんどん楽しくなる。めちゃくちゃ恥ずい言い方だけど、ほんとに遅れてきた青春って感じなんだよな。推しが一緒の人たちと酒飲みながらグダグダ言ったり、生誕祭のためにメッセージ集めてアルバム作ったり、サイゼで会議したりな。
そんな遅れてきた青春まがいな大人の心に、頑張る女の子達が歌うアイドルソングってめちゃくちゃ染み入るから感動もひとしおというか……何に重ねてるか分からんけどより熱いな、、となる……

でも10代の青春に終わりがあるみたいに、大人の青春にもなんとなく終わりが来る。
ナカウチと劒が上京したのが作中ではそのキッカケだったけど、リアルでも就職だったり結婚だったり推しグループの解体だったりまあ色々だ。



最近テレビやネットで「推し」という言葉をかなり頻繁に見るようになった。【推し活=尊い、好きなものや人のために頑張る!キラキラ!楽しい!ハッピー】みたいなイメージが今は結構メディアで出てるように思うけど、なんかそれを見ると嘘じゃないけどちょっと後ろめたさがある。
私も現在進行形でオタクだし、推しのおかげで頑張れるし、毎日感謝してるし、本当に楽しいって言える。でもそれだけじゃないこともあるよな?っていう。

コズミンが「あんな無職で貯金もなくて彼女もおらんし借金あるやつもいるおっさん達…」みたいにめっちゃdisってたけど、実際そういう人も多分多い。(最初現場行った時治安悪くて結構ひよった…)かくいう私も借金は流石に無いけど、同年代の一般人*3より貯金はだいぶ少ない。フットワークガバガバなので本州なら遠征に入らんしすぐ行くし、高めの服は悩んでもチケットはすぐ買うし。リボ払いしなければいい!!!お金使うために働いてるからな!!!という思想の宗教なので。。。

まあそんな感じだからお金はうまいことやらないと当然苦しいし、現場に行けない自分が許せなくてお金も時間も無理したり、逆にお金と時間が足らなくてどうしても行けなかったり、お金と時間があっても運がなくてチケット外れたり。推し被りや古参にマウント取られることもあるし、オタクじゃない友人と自分をふと比較しちゃったり、ショッピングセンターのイベントスペースとかでやるライブで、幸せそうな家族連れがいっぱいいるなか内輪ノリで騒いでる身内がなんか寒く見えて自己嫌悪したり、オタクに理解のない家族や友達に否定的なこと言われて痛いとこつかれてしまったりとか。
そういう事も絶対ある。あるけど、ありながらそれでもやっぱりそういう時でさえアイドルに元気をもらって、あーーだめだ私がこんなに応援してもらってるんだから、私も応援させてほしいってなる。だからやっぱり伝えるなら「いつもありがとう。これからも応援してます」がすべてだ。

全力でオタクするのははちゃめちゃに楽しいけど、無理しないといけない時もあるしいつまでもこんな事してられないのかもみたいな影がついて回ったりするけど、その影も目が眩んで見えなくなるくらいの光でかちこんでくるのがやっぱり推しなんだよな。。。光と影は表裏一体だから…………(怖い宗教)


映画でもそういう苦いところが描かれたシーンがある。本当にこのままでいいのか?…と劒があややのポスターを外そうとした時、遅れてきた青春仲間のコズミンがいつもはクズなくせにクソまずいシチュー作ってくれたりして。皮肉だけどそんな友達に会えたのは絶対あややのおかげなんだよな。
美化しすぎだろって思われるかもだけど、オタクで知り合った人ってほんと学生時代の友人と同じ感じだと思う。楽しいこと一緒にして楽しかった人とはいつ会っても楽しい。それが10代でも、立派な成人だとしても大事な青春を過ごした仲間に変わりない。


みんなと一緒にアホなことして楽しかっただけの日々は、私にとって「あの頃。」になったけど。
なんとなく影に追われながらも毎日楽しく笑って中学10年生を生きてる人はきっと今もいる。
この映画を見て自分の"あの頃"を懐かしむ人はそういう日々を咀嚼しおわったんだなって思うし、今も現役で「あの頃。」を生きている人はこの映画をみたら何かを考えるきっかけになるのかなと思う。




「あの頃」を卒業してしまったら自分がどうなってしまうのか怖いと思うときが私はあった。
こんなに楽しくて最高に幸せなのに、こんな楽しいことがなくなってしまって一体自分に何が残るのか?と。
だからこそ「お前ハロプロなくなったらどうすんねん!」というセリフに「いやハロプロの想い出話しつづけたらええやん!」って淀み無く言う西野に痺れた。
そうだよな、今同じ時代を生きてることに感謝して黙って応援しろよ!!!!!楽しい想い出増やしてダメなことなんてあるか????!!


コズミンみたいに「あの頃楽しかったな」って自分の人生を終える時でも心から言えるように、現在も未来もぼちぼち頑張って生きていきたい。立派な人生でなくとも推しに夢中で楽しく生きていきたいし、欲を言えばほかにも夢中になれるものとか大事なものとかもっと増えていたい。


アホみたいに楽しく生きながらも、出てきそうになる影にヒリヒリしながら、でもめっちゃ生きてる…!!って実感するような。そういう時間を過ごした恋愛研究会のメンバーはあの頃が過ぎてどんな風になったんだろう。


その麻薬みたいな楽しさとヒリヒリした影を飲み込めたあのメンバーが羨ましい(コズミンだけは変わらなかったけれど)と思ったけど、私も今この映画を見て「あの頃」だと思えてるから、案外飲み込むのはすごい大きくて尊いことじゃなくて、時間の流れと共にくる生理現象みたいな、ごく自然なことなのかもしれない。寂しいけど。


なんか他界*4した感めちゃくちゃ出してますが、ジャンルが変わっただけでまだ全然がっつりオタクしているので、私はあの頃第2章を生きています。貯金はもうちょっと頑張る🔥

映画『あの頃。』公式サイト

*1:ライブやイベント会場を意味するアイドルオタク用語。最近オタク文化というか推し活が市民権を得つつあるのでオタクじゃない人もわかるのかな…?!

*2:お前いつもいるな の略で常連オタク的な意味

*3:オタクはオタクじゃない人のことをそう言います。おまえらはなんなんだ?!?と思いますよね、すみません。いったい私たちは何者なんだ?と我々が一番思っております

*4:アイドルオタクをやめて現場に行かなくなるという意味のオタク用語

「喜嶋先生の静かな世界(森博嗣)」を読みました

※明確なネタバレはないけどふんわりネタバレです

 

私はゴリゴリの文系で、右脳派(多分…知らんけど…)で、理論より感情で動く人間だ。私にはこの本にでてくる彼等に共感することはできないし、きっと彼等にとっても私は不思議だと思う。

 

その時私は気になっていた人から俗に言う"脈なし"の返信がきて落ち込んでいた。こんなんで落ち込むなんて中学生じゃあるまいしいい歳してしょうもな、、、情けないしクソだせえ〜と自分で自分が居た堪れなくなったのでちょっとでも余裕のある大人のふりをしなければと思い立ち(付け焼き刃選手権大優勝!!!)下心いっぱいで駆け込んだ本屋さんで「心を整えてくれる小説」という帯がついたこの本に飛びついてしまった。

 

物語の主人公である橋場くんは私とは正反対だ。そして、タイトルにもある喜嶋先生は私の正反対にいる橋場くんの水平線上のもっと遠い先にいる人だ。

彼等は日々のほぼ全てを研究に費やす。それは時間はもちろん頭の中の容量いっぱいも、だ。それ以外のことが入る隙間がない。忖度はしないし、真実が解りようのない他人の感情を憶測したりしないし、そのせいでどう思われるかも良くも悪くも気にしていないみたいだ。シンプルにそのままを言葉にする。私はとにかく波風立たせたくない芸人なので、喜嶋先生のような人が近くにいたら間違いなくなんだコイツ…!!って思ったと思う。

けど、橋場くんがひたすらに研究向き合う数年間を読むと、そんな喜嶋先生のことを尊敬する意味もなんとなく分からなくもない。

 

橋場くんも、喜嶋先生ほどではないけれど研究以外のことにはかなり無頓着だ。無頓着というか、好奇心が研究以外にあまり向かないというか…(作中のヒロインである沢村さんみたいな例外もあるけれど)

でも橋場くんが嫌なやつじゃないところは、私みたいに勉学以外のことばかりあれこれ気になる人のことも、人それぞれだからと否定しないところだな〜と思った。いいやつ。

 

「つまり、理由を言葉で聞いても、結局はその意味するところは、抽象化できない。抽象化できないものは、つまり理解できないものなんだ。言葉を聞いても、理解したことにはならないんだ」

彼女から職場のヘビーなゴシップ話を聞いても特に何もつっこまない橋場くんが、気にならないの?と聞かれて答えたセリフだ。素っ気ない?冷たい?ようで誠実で信頼できるなと思った。

その彼女のスピカちゃん(作者の奥さんがモデル?って言われているみたいですが)は多分、右脳派というか私側の人間なのだと思うけど、それでいて考え方の違う橋場くんに対しての接し方がとっても素敵だし、なんか…これが選ばれる女……と思いました(言い方)

私も理系の男に惚れたら参考にします。。。

 

お話自体はあんまり読んだことないタイプのお話で、割とボリュームがあるけどくどくなく淡々と書いてくれているのが、頻繁に読書するわけじゃない私でも読みやすかったです。(喜嶋先生いつ出てくるんや?!?て前半はずっと思ってた)

結末はびっくりしたけど、私が同じ事象を書くならそれに対してたくさん気持ちとか憶測とか?ねじ込んじゃいそうなところをただ淡々と書いてあるところが「結末のあっさりした書き方はまさに作中の橋場くんの言葉どおり*1だ」との感想をお見かけして、なるほどなってとっても腑に落ちました。

 

橋場くんも喜嶋先生もきっと、私みたいに相手の返事に一喜一憂して急に目についた本を衝動買いしたりしないだろうな…

2人みたいに生きるのはとても美しいなと思ったけど、この本を手に取ったきっかけは私の情緒不安定のおかげでもあるのでまあ…悪くはないか…ガハハ!!😄って思っています。(心整わず)

 

 

*1:「つまり、理由を言葉で聞いても、結局はその意味するところは、抽象化できない。抽象化できないものは、つまり理解できないものなんだ。言葉を聞いても、理解したことにはならないんだ」

lyrical schoolのことよく知らないのに「おしえて」 が好きすぎる

 

最初にお伝えすると、私はlyrical schoolに全然詳しくなくにわかファンとも言い難いレベルです。メンバーの顔と名前も一致しない通りすがりの客で、ただ曲がすごく好きで何度も聴いてるだけの人です。

そんな人がこんな文章書いていいのかなと思ったけど、私の推しグループのこと全然知らんのにある曲だけ何年も聴いててめっちゃいい!!って感動している人間がいたらちょっと話を聞いてみたいなと思ったので書いてみます(?)

 

"リリスク"という存在を知ったのは、別のアイドル目当てで行ったTIFでたまたまそのステージを見たときだった。ラップをするアイドルという存在が私には新鮮だったし、メンバーも普通のアイドルというよりはちょっとカジュアル?でおしゃれでお姉さん感があってワクワクしたし、何より曲が楽しすぎた!(多分FRESH!!!歌ってた)

その時にオタクの方がサマーファンデーションのCDを配布されていたのでありがたくいただいて帰って、その夏はライブで聴いた曲を中心に何曲かよく聴きあさっていた。

ちょうどRUN and RUNの画期的なスマホ用MVが公開された前後だったので(多分…)、MVみて、す、、すげ〜!!!おしゃアイドルじゃ!!!!って思っていた。し、わりと何回もMVをみた。

 

私の"リリスク"は上記のTIFからでそのあと特に距離が縮まることはなかったのだけど、それがまた近づいたきっかけがSpotifyだった。

 

サブスクという言葉がめちゃくちゃ世間に飛び交っており、仕組みをよくわかっていないままアプリをインストールしたのだけど、何聴こうかな…と考えた時に何故か急にlyrical schoolを思い出した。

いろんな曲を聴いて、昔聴いてた曲もやっぱりいいし、現メンバーの曲も良い…!!となり、お気に入りアーティスト登録してよく聴いていたのだが、なかでも「なにこれめちゃくちゃ良くね…?!?」となったのが「おしえて」だった。

 

▼音源

https://music.apple.com/jp/album/%E3%81%8A%E3%81%97%E3%81%88%E3%81%A6/1169375395?i=1169375423

 

▼歌詞

https://g.co/kgs/FEoMyM

 

好きなところがたくさんあるんだけど、まずは曲のテンポ感。音楽に詳しく無いのでこれがジャンルで何にあたるのかわからんのだけど、ゆっくりすぎず速すぎず歩くのにもちょうど良い。夕方歩いてる時にシャッフルでこれがかかるとなんかテンション上がって口角上がってしまう。そして次に本当に歌詞が可愛くて健気で最高。全部好きだけどとりわけ痺れるところ二つだけ書きます。

⚫︎好きな人の好きな服がほしい(かわいい)

この曲の歌詞どれもほんとにほんとに大好きなのだけど、全編通して"好きな人が好きな服"を探しているんですよ。。私は基本「おしゃれは自分のために!派」なんだけど、でもちょっとでも好きな人の好みに寄せたいっていういじらしい歌詞には共感するし、それを探すためにいろんなお店回ってあれじゃないこれじゃないってするの、身に覚えがあるし※

その度にもうわからん〜!何が好きなん!って投げたくなったりする気持ちがこの曲のサビなのがたまらんのだよな。。。

好みを教えて お願い お願い

少しでも好きになってほしい

文字だけで書くとなんか圧強そうなんだけど、これをリリスクさんが歌うとめっちゃポップで可愛い等身大の女の子なんだよな…くう。少しでも好きになってって…健気すぎるだろ…好きになれよ!!!!!

※"推しとの接触イベ1週間前に急に服を探し出す女こと私"を恋する可愛い女の子に昇華した曲って友人に説明したら、それはもう別人では?といわれました。それはそう。

⚫︎今よりもちょっと、いつまでもずっといて

さっきのサビもたまらんのだけど、そのサビ終わりのこのフレーズが本当に大好きすぎて、最高の矛盾すぎるんよな。

今よりもちょっとだけ

いつまでもずっといて

ッカ〜〜〜!!!(泣)たまらん…どっちなん?!?!何その矛盾、、、(泣)(泣)いや後者やんな?!でもそんなん烏滸がましくて言えないし、本当にあとちょっといられるだけでも幸せって思ってるんだよ!!嘘じゃないんよ!!でもできるならずっと楽しい時間が続いて欲しいんだよ……わかる…

それをもうほんと明るくポップに歌ってくれるから切ないけどそれ以上にキュンとするというか…

 

あと完全に余談かつ作詞家の方が意図してないところ勝手にねじ込んで申し訳ないとは思うんですが、好きな異性とかじゃなくて好きなアイドルとかアーティストに対しても私はその活動って刹那的なものだと思ってるから、今よりもちょっとだけ いつまでもずっといて の気持ちなんだよな……

 

 

本当にとにかく聴いてみてほしい〜!めっちゃ好きなので誰かに伝えたすぎる、、、と謎の記事をしたためるほどには人を狂わせる力のある曲なので…

あ、他の曲も好きです。なんかリリスク聴きながら歩いてるとめちゃくちゃおしゃれでイケてる女のコスプレしてる気分になって楽しいので好きです(?)

 

Spotify 「おしえて」lyrical school

https://open.spotify.com/track/2rVPGCPFR2GwBNRHJuaMTa?si=5dqBIdK6Qwq5SGICQt_tVQ

 

好きなものいっぱいなのに感想が書けなくなった

私はもともと広く浅いオタクで、ジャニーズや女の子アイドルや2.5舞台、ほかにも友達に勧められたアニメとか漫画、ソシャゲなどいろいろ手を出している。

昔はTwitterにその感想とか考察を書き殴ったり、ジャニオタ最盛期のときは古ジャニオタ鉄板?のりあるたいむ(今のオタク、通じるのか?!?)いっぱい更新したり、CROOZブログ(今のオタク、以下略)にドリ小もどきをメンバー毎に考えて鬼更新したり、メンバーの誕生日は生誕祭記事作るぞっていろいろ準備したり、録画したバラエティ番組秒刻みでテレビ画面撮って感想レポ書いたりしていた。

まあ黒歴史でもあるし誰得?!とかではある。

あとそういえば現場で友達に配るために、徹夜して推しのセリフでオリジナルおみくじ100組くらいつくったり、推しの顔面福笑いも作って配りつけてたな。(本当に何をしていた???)

 

なんか就職して3年くらいたって仕事も忙しくなって同期も辞めていき余裕がなくなってきてたから?なのか気づいたらそういうのが全くできなくなった。

Twitterですらあーこの感想書きたいな…と思いながら2週間くらい経ってそのまま呟かずに終わるし、舞台だと作品のためにもアンケート送らないと…!!とは思うんだけど、かけずに終わってしまう。クオリティとか生み出す意義はおいといて、なにかをアウトプットすることがめっきりできなくなった。

 

仕事が忙しくなっても心がしんどいことが多ければ多いほど娯楽を摂取したいタイプだから、コロナ前は本当に飛び回って遊んでいた。

毎日終電くらいまで働いてた時も土曜は始発で東京に行って日曜の最終の新幹線で大阪まで帰ってきたりする生活をしていた。遠征以外にも金曜友達と飲みに行ってカラオケ行って万葉倶楽部で朝から風呂入って爆睡したりしてたし、その足で映画見に行ったり展示会いったりコラボカフェ行ったりしていた。ほんとにこの頃全然寝てなかったし寿命削って遊んでるな〜という自覚はあったが。そうでもしないと正気で平日生きられなかったので、、、

 

日常が辛い分?必死に遊び呆けてたのでこの辺の1〜2年は遊びの合間に仕事してる?というか非日常と日常が逆?のような不思議な感覚だった。

だから"インプット"というとめちゃくちゃかっこつけた言い方で草なんやけど、たくさん楽しいことしたし好きなものにも触れていた。触れまくっていた。

のに!その感想とか思ったこととか全部何にも形に残せなくて、感動したあの舞台も、あの時の推しの接触での一言も、1人で見に行った映画のことも、友達に触発されて読んだ小説も、浴びた時はたくさん感じたことがあって誰かに伝えたい感動や感情がたくさんあったのに。なんかそれを外に出せないと、見た意味が無いみたいな気がしてきて。。。。そんなことは絶対ないのですが。。。

 

たくさんの好きコンテンツのおかげで生きてこられたのに自分に何も残ってないみたいで、しんどい体にどんどん好きなものぶち込んだから麻薬というかオーバードーズで何も出力できなくなってるんかなとかも思ったりした。

でももしオーバードーズだとしても、これからも生きていくために我慢せずにガンガン好きなことを自分に注ぎ込みたいし面白いことにはがっついて軽率に足踏み入れたい所存。

 

ただ単にいろんなことに疲れて何も考えることができなくなってきてるだけだと思って、とりあえず今のこのフラストレーションをかいた。出力の第一歩。。。

ちゃんと書こうとすると、無理やのにカッコつけようとしてまた書けなくなるからダッシュで書き殴った。

 

これからもぼちぼち生きてこ〜、自分

放課後みたいなお昼休みだった  今週のお題「サボる」

今週のお題「サボる」

 

最近仕事がかなりしんどくて、サボりたい気持ちは満々だけどなかなかサボる時間が取れない。いやまあ、サボらないのは当然だろ!という真っ当な意見はわかるけど。でも精神的にも肉体的にも辛い時は、サボらないとやっていられない時もあった。今までも、そういう時はなんとかうまく時間を作ることで1日の楽しみを作ったりしていた。

 

社会人3年目の後半くらい。特に仕事がきつく、朝から晩まで働き、毎日終電に駆け込んで帰っていた頃。私は同じ部署にいた同期2人と3人でお昼を食べることだけが出社する楽しみだった。こんな楽しみがあったことだけでもすごく恵まれているなと今は思う(弊社の労働環境、テメエは許さん)

もちろんお互い仕事が多かったので毎日ではなかったけど、WEB上でお互いのスケジュールを確認し外出とかませたりして、いつもよりちょっと長めのお昼休みが取れそうなタイミングをみつけると、「め?」とだけメールを送る。これを見て、今日はいけるぞ!!!となったときは「め!!!」で返信する。

この「め」は誰からはじめたか忘れたが、「お昼いく?」の意で使う、自分たちだけの合言葉だった。(なぜ略したのかは思い出せない、、、)

お堅そうな上司にばれないようにしれっとうまく合流して、3人で何を食べるかわいわい喋りながらお店に向かうのは、悪巧みやイタズラを考えてる時みたいでなんだか嬉しくて、楽しくて、その時だけは仕事のしんどいことを忘れられた。みんなでお腹いっぱい食べた後に無駄にコンビニはしごしたり、絶対汁が飛びそうな坦々麺にスーツで挑戦したり、シルバニアの赤ちゃんをお昼ご飯に連れて行ったり、戻りたくない気持ちに比例して全員の会社への足取りがあまりにも重すぎて逆に笑えてきたり。その時だけは楽しくて、当時の自分にとって本当に大事な時間だった。

たいてい出勤後すぐに私が「め??」と2人にメールすると「め!」と秒で2人から返事があった。※お昼休みは私の1日の楽しみなので朝からもう昼休みのことを考えている。

「昼から焼肉だーー!」「イェーーイ!!」と意気揚々と向かった焼肉屋さんで仕事中の理不尽な話や悔しかった話をしながら泣いてしまう時もあった。(お肉を食べ終わった後コーン茶をおかわりしながらたくさん話した。)

 

すごくしんどかった時に、こうして一緒にちょっとだけサボってくれる同期がいて本当に救われていたな、と思う。もう2人とも退職してしまって、私だけが残った。仕事が忙しいとお昼休みに外に出て行くこと自体が億劫になって、昼食を抜いてしまうことも多い。

でもほんとは前みたいにちょっとサボる時間を作った方が前向きに頑張れるかもしれんな〜とこのお題を書きながら思った。2人ともあの時は本当にありがとう。